若いころハイキングには数度行った記憶はあるが、登山はない。尾瀬にも上高地にも行かなかった。
何十年ぶりに思い立って、登山靴を買ったのが1995年12月6日である。 同時にリックと雨具も買った。 なぜ登山をしたいと思ったかさだかではないが、 すでに風景写真を始めていて富士山を追いかけていた。 そして富士山撮影するにはカメラ用リックやそれなりの靴が必要と色々探していた。
当時はそれほど登山には興味はなく、逆に危険と避けていた。 その頃、登山用品店に立ち寄った。 今でも覚えているが、カメラを入れる仕切りが入ったカメラ用のリックがないかと相談したら、 「リックが重くなるし使いにくいですよ。私どもはカメラを持って山へ登りますが。 登山用のリックに入れていきます。その方が軽いし融通がききます」との答えだった。 なるほどと納得し、靴も合わせて買ってしまったのだ。
それからは写真撮影には登山用リックを担いで行くようになった。 しかし、登山道具はそろったが、登山は危険との先入観があって、なかなか行く度胸がない。
初めて登ったのは神奈川県の丹沢の岳の台である。1996年1月7日に富士山撮影のために丹沢の大野山に登ったのだが、 実は車で頂上まで行ってしまった。まわりをみると登山客が弁当を広げている。 登山で登ってきたらよかったと思ったが、後の祭りである。
そこで、富士山撮影の後の、自宅への帰りに、寄り道をして、丹沢の岳の台に登ろうと決めた。 岳の台から撮ったきれいな富士山の写真を見たことがあって一度行きたいと思いながら行けずにいたのだ。 ヤビツ峠から約30分で登れると勇んで登ったが、すぐにばててしまって、やっとたどり着いた。 大野山では見えていた富士山も曇っていて見えない。 私は息が苦しくて吐き気がするようで気分が悪い。岳の台の頂上でしばらく休んだ。 もう歳なので、とっても高山は無理とすっかり体力に自信をなくした。
普段の運動不足のため体力が落ちているのが第一原因である。もう一つ、私は早足で歩く癖があるため、 ゆっくり歩かないで、登りを平地に近い速度で登ってしまったためだと後で気付いた。 このときの登山はハイキングと言えないくらいの登山であったが、 その後、山に頻繁にいくようになったきっかけの登山であったことと、 自分が初めて意識して登った登山であったので、これを始めての登山としている。
この登山で疲れてしまい、懲りたので、次に登ったのは随分後で、同じ年の4月29日の奥多摩の浅間嶺である。 このときは軽いトレーニングをしたかいがあって、なんとか登れた。快晴でとても気分良かった。
登山にのめり込むきっかけになったのは6月2日に上高地に行って穂高の美しさに触れたことと、 8月23日に北アルプスの唐松岳に登ってからだ。ともにすばらしい良い天気に恵まれた。
そして10月頃から頻繁に丹沢に登るようになった。 その後東京野歩路会を知り、1997年2月に入会し、本格的に登山を始めることになる。 私は登山開始が遅かったために、日本100名山は現在14座までしか登れていない。 サラリーマンの私にはとても100名山踏破は無理だ。
(1998年10月17日記)。